桜が待ち遠しい季節になりました。「桜がきれいだね」など自然には心を通わせ、愛でたりもしますが、皆さんは周りの人に褒め言葉を贈っていますか?褒めること、褒められることに慣れていない日本の文化ではありますが、「桜がきれいだね」と言うように、ただ素直に心を通わせ、感じた事を口に出すだけで、十分褒め言葉になるのではないでしょうか。
先日、スーパーで、老婦人が購入する品物を抱えて、レジへむかっていました。「買い物かごがないわ。」とつぶやいた老婦人に、「お持ちしましょうか?」と私はかごを取りに行きました。私がかごを持って戻ったとき、老婦人はすでにレジに到着していましたが、「ありがとう。肌寒くて、家を出るのがおっくうだったけど、嬉しいことがあるものね。頑張って出てきてよかったわ。」と伝えてくれました。私は「そうおっしゃってくださって、私も幸せな気持ちになりました。ありがとうございます。」と自然に応えていました。
特別な言葉は要らない。ただ相手に寄り添い、思いやる事ができれば、褒め言葉にもなるのかもしれない。ならば、毎日ほんの少し、すれ違う人や出逢う人に心を添わせてみよう。春の陽射しが温かく会話を包んでくれるような、そんな出来事でした。
でも、みなさん、「そうは思っていても忙しくて余裕がないの。」とおっしゃいます。「心を亡くす」のは誰でしょうか?誰が誰の心を亡くしているのでしょうか?一日が終わる時や頑張った時に、ご自身にも褒め言葉を贈っていますか?褒め言葉は心のサプリメントではないか、と私は感じています。
一般に世の中の評価は、人や組織の評価基準に基づきます。だから、仕事を頑張って認められることもあれば、認められないこともあります。しかし、他人の評価は絶対ではなく、相手に努力を見せないこともあるし、自分しかわからないこともあります。だから、その時はできても、できていなくても、自分を認めて褒めてあげて欲しいのです。自分を認めてあげないと、人にも厳しくなって、相手を思いやる心ののりしろが減ってしまう気がします。
私は就寝前、一言だけ、自分に「ありがとう、今日も頑張ったね。一日無事過ごせたね。」などと言って寝ます。自分をいかしてくれたことに感謝して、新たな朝を迎えたいから。「朝」という漢字は「十月十日」と書きます。そう考えると、朝、起きたとき、今日という日が新鮮な気分で始まったと感じませんか?それだけで幸せな気持ちになりませんか?毎日、常に自分がニュートラルな状態で、出会う人や季節を育む自然に、褒め言葉をプレゼントできたらなと思います。自分に褒め言葉を贈ると、相手を褒める事がスムーズにできるのではないでしょうか。
【あべ りか, AICI FLC】